JPのブログ

読書記録や勉強したことをまとめていきます。

恋愛方程式

非線形・カオスに興味があり、「ストロガッツ 非線形ダイナミクスとカオス」を読んだ。

ストロガッツ 非線形ダイナミクスとカオス

ストロガッツ 非線形ダイナミクスとカオス

この本の5.3節の「恋愛問題」の内容が大変面白かったため、Pythonで検討を行ってみた。

問題設定

ロミオとジュリエットの恋愛の行方(ダイナミクス)を計算する。
具体的には、以下の2つの変数の時間変化を計算する。

R(t) = 時刻tでロミオがジュリエットを好きな/嫌いな度合い
J(t) = 時刻tでジュリエットがロミオを好きな/嫌いな度合い

ここで、R, Jの正の値は好き、負の値は嫌いを意味する。

このとき、二人の恋愛の数学モデルは以下のようにあらわせる。
 \displaystyle\frac{dR}{dt} = aR + bJ
 \displaystyle\frac{dJ}{dt} = cR + dJ

ここで、a, b, c, dは正負いずれの値も取りうる。
例えば、一つ目の式でa > 0, b > 0の時、
・ ロミオは自分がジュリエットを好きなほど、よりジュリエットが好きになる。
・ ロミオはジュリエットが自分を好きなほど、よりジュリエットが好きなる。
ということを意味し、かなりロミオは恋愛に燃え上がるタイプだと言える。

横軸にR,, 縦軸にJを取ると以下のような可視化ができる。

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第1~4象限がそれぞれ、相思相愛、Juliet片思い、互いに嫌い、Romeo片思いを意味する。
この図(力学系では二次元相空間と呼ぶ)上で、任意の初期状態(恋の始まり)から時間経過とともにどのように二人の関係が変化していくかシミュレーションすることができる。上図では初期状態が原点であり、互いに無関心な状態と言える。

ケース分け

以下のケースを実施してみた。

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解法

Pythonの科学計算用のパッケージにあるscipyの”odeint”を用いて微分方程式を任意の初期条件から数値的に解いた。
可視化にはmatplotlibのAnimation機能を使用した。

結果

ケース1(自分の気持ちには無関心)

相思相愛になるのは1/4の周期のみで、二人の気持ちの変遷は同じ軌道を繰り返す。

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Case 1

ケース2(自分の気持ちに慎重な、似たもの同士)

互いに慎重になりすぎて、お互いに無関心な状態に行き着いてしまう。残念。

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Case2

ケース3(相手の気持ちに敏感な、似たもの同士)

ロミオの片思いの状態から一度気持ちが冷め始めるが、一転最高のクライマックスを迎える。

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Case3

ケース4(Case 3の初期条件をわずかに変更)

初期条件がケース3とわずかに異なる。(ケース3と比べてロミオの片想い具合はわずかに小さい)
始めはケース3と似た軌道だが、不幸なことに最終的に仲違いしてしまう。

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Case4

感想

本当の恋愛はもっと様々要素が関係した複雑なものであると思うが、ケース 3と4の違いのように恋の始まり方によって終わり方が異なるなど、現実でもありそうな傾向が簡単なシミュレーションから出てくるところが面白い。

本書では、二次元の線形系相空間のとっつき易いモデルとして恋愛問題が紹介されているが、初めて微分方程式を勉強する人にとっても良い例題だと思う。微分方程式を解くと何が嬉しいのか、楽しく勉強できるのではないか。
(たぶん無いと思うが)私が将来微分方程式を誰かに教える機会があれば、ぜひ説明に恋愛方程式を取り入れてみたい。

小商いのすすめ

小商いのすすめ、平川克美 著、ミシマ社 を読了した。

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

内容

敗戦後から1964年の東京オリンピックまでの期間、貧しいながら幸福感があった。そこから日本人は大いに働き、高度経済成長を経て経済大国となった。

短期間で経済成長できた理由の一つとして、経済が均衡拡大する状況にあったことになる。例えば、各家庭に3C(車、クーラー、カラーテレビ)が行き渡る過程であり、仕事が増える⇒収入が増える⇒3Cが買える⇒仕事が増える、といった経済が拡大する方向に均衡している状況であった。

しかし、現在(本書が執筆されたのは2011年)では各家庭には3Cなどの消費財は行き渡っており、経済成長には難しい環境にある。それにも関わらず、経済成長を前提として、資本主義社会が進んでいる。テレビが一家に一台の時代から、一人一台の時代になるなどして、少しずつ経済成長が見られるものの、停滞していくことは目に見えている。

著者は、人口減少を背景に、今後の経済を縮小均衡していくことを提案している。また東京オリンピック前に見られた情景をヒントに、小商いをすすめている。

端的に、小商いは、存続し続けることが、拡大することに優先するような商いのことです。

大きな利潤を必要としないスケールのビジネスをし、
・送り手と受け手の関係が継続していくこと
・送り手が自分の仕事に意味や必要性を感じること
を重要と考える。

感想

本書に記載されていた企業の他にも、地方で見られるゲストハウスや再生可能エネルギーベンチャーなどが小商いの実例だと思う。いずれも地域の中の小さなコミュニティを大事にしていることが共通点だと気づいた。

小商いが浸透すると生活水準は下がる(不便になる)、技術開発は他国から遅れをとる等の懸念があると思われるが、人々が助け合って生活する中で、精神面では裕福になれるのかもしれない。

p.133

「大きな」問題のとは上述の「ちいさな」問題が積み重ねられた結果であり、「大きな」問題の解決は、無数の「ちいさな」問題を自分の問題として引き受ける、無数のちいさなひとびとが地道な努力を重ねることによってのみ成しうるのだとわたしは考えているのです。

大企業が抱えている問題は一人では解決できない。自分の周りの小さな問題を解決することで大きな問題が解決できるのだと思う。また、この考え方は「青年の大成」安岡正篤の中で述べられている「一燈照隅・萬燈遍照」に通ずると感じた。

「地球温暖化」の不都合な真実

地球温暖化」の不都合な真実、マーク・モラノ 著、渡辺 正 訳、日本評論社を読了した。

「地球温暖化」の不都合な真実

「地球温暖化」の不都合な真実

内容

人間の出す二酸化炭素により地球温暖化が進行しているという定説に異議を唱える。

産業革命以降の平均気温の増加は小氷河期から温暖な期間に移行する途中であるためであり、人間が二酸化炭素を大量に排出し始めた数百年の期間より長いタイムスケールの変動である。つまり地球は温暖化していない。
中世には現在よりも気温および大気中の二酸化炭素が高い時期があり、人為的な二酸化炭素排出と気候変動の関係に説明がつかない。

仮に地球が温暖化していたとしても、国際的に提言されている二酸化炭素の排出量を減らすという方針は科学的に正しくない。地球の気候は二酸化炭素という単一の要因だけで変わるものではなく、多くの要因が絡み合っている。二酸化炭素の排出量を減らしただけで気温が下がるとは考えられない。

アル・ゴアIPCC気候変動に関する政府間パネル)が広める警告は科学的ではなく政治的なものである。IPCCが出す評価書にもデータの取り扱いやグラフの作成方法に不可解な点がある。

国際的な脱炭素の取り組みは、先進国が経済発展のために利用してきな安価な炭化水素由来のエネルギーを、アフリカなどの新興国に使わせないための口実としていると、著者は主張している。

感想

初めて地球温暖化の懐疑派の本を読んだが、地球温暖化について「よく考えてみればおかしいな」と思う点がいくつかあった。

・ 大気中に400ppm程度しかない二酸化炭素地球温暖化させる影響力があるのか?
・ 「二酸化炭素の排出量さえ減らせば地球温暖化を阻止できる」といった風潮があるが、本当に二酸化炭素だけ減らしただけで気候が変わるのか?
・ 二酸化炭素を減らす対策に膨大なお金が使われているが、二酸化炭素が原因ではない可能性を考えると恐ろしいことではないか?
・ 最近の夏はとても暑くなっており、豪雨などの異常気象が増えていているように感じてはいるが、本当にそうなのか?

テレビや新聞で言われている地球温暖化を無批判に受けれ入れていたが、いわゆる「バカの壁」にはまっていたと感じている。
reliableeng.hatenablog.com

実際に地球が温暖化しているがどうかは分からないかもしれないが、実際に自分で気候データを調べたり、IPCCの報告書を読むなりして、地球温暖化が実際に起きていそうか?二酸化炭素が原因でありそうか?という点について意見をもっておきたい。

地球温暖化の脅威派も懐疑派も主張が強いので、自分で調べて意見をもつことが大事であると思う。

自分が知識がないことに関しては、ついつい専門家の意見に右にならえをしてしまいがちであるが、専門家の間で意見が割れることも多々あるし、科学も完全ではない。

本書を読んで、自分の頭で考えることの大切さを再認識した。

バカの壁

バカの壁養老孟司 著、新潮社を読了した。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

 内容

バカの壁”の例として、「自分たちは知っている」と思い込み、自主的に情報を遮断してしまうことがある。

現代は情報化社会、脳化社会であり、実際には日々刻々と変化している生き物である自分自身が「情報」と化してしまっている状態である。

脳化社会では自分には変わらない特性があると思い込み、自分は不変で情報が変化すると考える。実際は逆で、情報が不変で自分が変化するのである。

例えば、死を意識すると同じ桜の木でも見方が変わってくる。これは自分が変わったからである。

 

脳化社会の弊害として、 思考停止となり大事なことを考えなくなる。一元論にはまるのである。

会社などの小さな共同体の中の常識(と思い込んでいるもの)を信じ込み、外のことが見えなくなるのが身近な例である。

 

一元論にはまり、壁に囲まれるのは一見楽であるが、向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなり、話が通じなくなる。

テロが起こることもオヤジの説教が子供に通じないことも、スケールは違えど、一元論にはまっていることに起因する。相手に対する係数がゼロになっているのである。

 感想

 p. 56

方丈記』の冒頭もまったく同じ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

川がある、それは情報だから同じだけど、川を構成している水は見るたびに変わっているじゃないか。「世の中にある、人と栖と、またかくのごとし」。

このような現代と異なる世界観が映し出されているとは感動した。中学か高校の授業ではただ丸暗記しただけであったが、学生時代の勉強に対する態度を反省するばかりである。

 

p.95

陽明学というのは何かと言えば、「知行合一」。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考え方です。しかしこれは、「知ったことが出力されないと意味が無い」という意味だと思います。

勉強するときは、入力(インプット)だけでなく出力(アウトプット)を意識した方が良いとよく言われるが、それと同じようなことであると思う。

勉強したことをもとに出力、つまり行動できるようになることが目的である。

本書にイチロー松井秀喜などのスポーツ選手も出てくるが、スポーツ選手のように反射的に体を適切に動かせるのも、「こうしたらよい」という入力が反射的に出力できるように訓練されているからとも考えられる。

エンジニアとして流体力学や熱力学などの学問を学ぶときも、物理現象を前にして反射的に支配的な要因を見いだせることが重要なのだと思う。

 

p.109

人生の意味は自分だけで完結するものでなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる

本書で人生の意味を考える重要性を説明しており、常に意識したい点である。

 

p.160

よく言われることですが、サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任をもたなくてはいけない。

事実、今じぶんは立場上サラリーマンなのであるが、仕事に忠実な人になりたい。人生の意味が分かっている人が仕事に忠実な人になれるのだと思う。

 

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい、瀧本哲史 著、講談社を読了した。
瀧本さんは2019年8月にお亡くなりになったことが報道されました。
ご冥福を祈りいたします。

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい

内容

東京大学助手、コンサルティング会社マッキンゼーで勤務した経歴を持ち、投資家として活動しながら京都大学で学生に起業論を指導していた著者が、格差が広がる資本主義社会で戦い抜く武器を説いている。

高度経済成長期に信じられていた、偏差値の高い大学を卒業&大企業に入ることで一生安泰であった時代はとっくに終わっている。
世間で英語・IT・会計などの知識・スキルが就職に役立つとして推奨されているが、それらを持つ人間は数多く存在し、コモディティ化している。
コモディティ化している人間は一定水準を満たしていればビジネス上では誰をやとっても同じであるため、買いたたかれる。賃金は下がっていく一方である。

資本主義において生き残るタイプは大きく6つある。

  1. トレーダー
  2. エキスパード
  3. マーケター
  4. イノベーター
  5. リーダー
  6. インベスター

このうち、トレーダーとエキスパードはインターネットの普及や産業の変化のスピードが早くなっていることから生き残るのが難しくなっている。
ビジネスパーソンは残りの4つの顔を使い分けて働いていくことが望ましい。

ビジネスパーソンが働く会社を選ぶにも投資家的な考え方が生かせる。
成功している投資家は新聞やテレビなど一般に公開されている情報をそのまま鵜呑みにはしない。その情報はみんなが知ってしまった時点で価値がなく、そこに投資することはコモディティ化していることを意味するからだ。
投資家は、今ほとんど誰も注目していないが将来伸びてくる企業を探し、長期的な目線で投資する。ローリスクローリターンではなく、ハイリスクハイリターンの投資を分散的に行いリスクを抑える。
つまり、ビジネスパーソンは今注目されている業界ではなく、まだブームになっていない業界を探した方がよい。

自分の頭で考えない人間はリスクを背負わされてしまう。
一生サラリーマンの道を選ぶことは、ひとつの会社に自分の人生をすべて委託するということで、非常にハイリスクでありローリターンである。

投資家の考え方で世の中を見ることが、資本主義を生き残るための闘い方である。

感想

本書の中で説明されている投資家的な働き方は、自己研鑽の方向性を考える上でも重要だと感じた。
コモディティ化せずにスペシャリティになるには何を学び・経験すれば良いのかという視点で自分のキャリアを考えていきたい。
技術者という立場で活躍するためには、社内だけでなく社外においてもスペシャリティがある人材を目指したい。

投資家的に働く中で重要なことは
「きちんと自分の頭で考えること」
だと感じた。自分の頭で考えずに「誰かの支持にしたがっておけばよい」とい姿勢になってしまうことが最も良くない。

また、リーダーの適正について以下の記述があった。

日本人の多くは、謙虚ですばらしい人格を持ったリーダーを好むが、そういう人は実際にはリーダーにはなれないのである。歴史に名を残すレベルの企業を作ったようなリーダーというのは、みなある種の「狂気の人」であることが多いのだ。

リーダーの仕事は「ぶれずにチームの方向性を示すこと」だと聞いたことがある。周囲には流されず自分の頭で考えたことを譲らずに主張できる人がリーダーの適正があるのであろう。(自分にはリーダーの適正はなさそうだ)
クレイジーなリーダーのパーソナリティは幼少期のコンプレックスからきていることが多いそうである。本書の主旨とは異なるが、自分自身の幼少期のコンプレックスと現在のパーソナリティとの関係性についても気づきがあった。

そこまで大金が欲しいわけではないが、コモディティ化した働き方(低賃金長時間労働)では自分の理想的な人生を歩めない。資本主義の中で生きていくためにはスペシャリティをもてるように努力することが大切だろう。

原発フェイドアウト

原発フェイドアウト」、筒井哲郎 著、緑風出版 を読了した。

原発フェイドアウト

原発フェイドアウト

内容

発生より8年が経過した福島第一原発事故の現状を
元プラントエンジニアである著者の視点からまとめている。

事故発生から今日までに行われた原発事故関連の裁判における東電の言い分について技術者の目線から批判しており、設計思想の問題点をついた指摘や、具体的な数値を示した主張が多い。

福島原発事故による避難者、汚染土壌、汚染水への対応が完了していないにも関わらず原発の再起動・推進の方向性を示している東電・政府に対し、筆者は憤りを感じている。

また、筆者自身が実際に訪れた原発関連設備についても記載されている。
原発事故処理プロジェクトの全体像が見えないことに疑問・不安を感じている。

感想

事故から時間がたち、世間の人々の記憶から福島原発のことが薄れていく中で、
本書を通して原発について改めて考えるきっかけが得られて良かったと思う。

私の肌感覚では世の中は原発反対の人が多い印象であったが、2017年の世論調査では反対が53%と、大多数を占めているわけではないようだ。

原発推進派の意見は以下のようなものがある。

  • 日本のエネルギー自給率に貢献する
  • 他国からエネルギーを買わないことによる外交上のメリットがある
  • 二酸化炭素を出さないため、地球温暖化を防ぐクリーンエネルギーである
  • 火力や再生エネルギーと比べて安い

一方、原発反対派の意見は以下のようなものがある。

  • 事故の際の被害が極めて大きい
  • 核廃棄物の処分場所が決まっていない

現状、私は既設の原発含め廃止の方向にもっていくのが良いと思っている。
上記のようなメリットがあるが、他の発電方法に比べてリスクが大きいと感じるのが理由である。
リスク = 事故時の被害の大きさ × 事故が起こる確率 であるが、
いくら事故が起こる確率を減らそうとも、事故時の被害が大きすぎてリスクが許容するレベルに収まりきらないはずである。

また核廃棄物の処分場所が決まっていない問題もある。
技術的に安全な処分方法が確立したとしても、処分場設置を容認してくれる自治体を見つけることは難しいのではないか。
さらに埋め立て後、放射線が自然界のレベルまで減衰にするには10万年かかるとのことで、遠い将来に何が起こるか分からないという不確実性がある。

安いと言われているコストに関しても、ランニングコストに加えて、万全の安全設計を行ったプラント建設費や現在何兆円もかかっている事故処理のためのコストを考えると決して安いとは言えないのではないか。
(本書の中で著者が事故処理費用と原発による推定売上高を比較している)


原発推進にしろ、反対にしろ、まず現状を知ることが大切だと思う。
資源エネルギー庁のHPに原発だけでなく、エネルギー全般に関することがまとめられている。
www.enecho.meti.go.jp

原発事故処理の進捗を知る努力をし、我々庶民が知識をしっかりもって建設的な議論をすることが大事かと思う。

筆者が第6章で以下のように書いている。

日本では、責任者が、「自分は誰かの指示に従えばよいのだ」と思い込んでしまう例が、大組織であるほど顕著に表れてくる。

福島原発事故の処理が難航している背景には、当事者達にこの傾向があることを筆者は指摘している。
(なるほどと思うと同時に、普段自分が会社で働いていてこのような思考に陥りそうになる瞬間が多々あるためドキリとした。)

分散型エネルギーについて

分散型エネルギーについてまとめる。

資源エネルギー庁の資料には以下のように定義されている。
https://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/006/pdf/006_05.pdf

「分散型エネルギー」とは、比較的小規模で、かつ様々な地域に分散しているエネルギーの総称であり、従来の大規模・集中型エネルギーに対する相対的な概念。

現在の集中型の発電により、我々が消費する電力の多くがまかなわれている。ここで集中型とは、電力会社による火力発電などの大型発電設備により、まとめて大きな電力を作り、送配電設備により各家庭・事業所に電気が送られる仕組みのことである。

分散型エネルギーは、集中型とは反対に、比較的小規模の発電設備を地方に設置し、近辺の地域のみで消費する仕組みである。
集中型と比べて、緊急時において停電するリスクが低いことや、排熱の有効利用などのメリットがある。

一方で、発電量あたりの導入コストが分散型エネルギーの方が集中型エネルギー大きくなるはずである。
発電設備導入コストが現実的な期間で上回る(つまりペイする)ことが分散型エネルギーの普及には重要だと考える。


以外のようなものが分散型エネルギーといえる。


建物の屋根に設置した太陽光発電バイオマス発電、風力発電など、
以下の本で紹介されているものは分散型エネルギーといえると思われる。
reliableeng.hatenablog.com

都市ガスから水素精製(水蒸気改質など)し、燃料電池により発電する。
発電時に発生する熱で給湯を行う。ガス代、電気代の節約となる。

  • 工場・プラントの自家発電

工業生産のために使用している燃料・蒸気を用いて発電を行う。
現場で使用する電気代を抑えることができる、売電による収益を得る、停電時にも電気を得ることができる、といった点でメリットがある。