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ユーザーイリュージョン 意識という幻想

ユーザーイリュージョン 意識という幻想、トール・ノーレットランダーシュ 著 柴田裕之 訳 を読了した。
人間の意識というものについて、物理学、熱力学、情報理論サイバネティクス、心理学、生理学、生物学、哲学、社会学歴史学、宗教そして倫理と幅広い視点から話が繰り広げられている。大変読み応えのある本であり、著者の見識の広さに度肝を抜かされる。



意識というものを情報量として捉える考え方が興味深い。
人間が五感から得られる情報量は1100万ビット/秒に対して、意識に上る情報量は50ビット/秒にしか満たない。
人間の言動は、意識で考えたことより、無意識に得られる情報により大きく影響される。日々の生活の中でも、意識をしたせいで物事が上手くいかなくなることは身に覚えがある。スポーツ選手や職人は、日々の練習・鍛錬により、無意識に適切な動作ができるようにしているとも言える。

「訳者あとがき」にある以下の文が上記をよくまとめている。

そこで、人間は意識がイリュージョンであることを自覚しなければならない。意識ある<私>と無意識の<自分>の共存が必要だ。<私>が自らの限界と<自分>存在を認め、<自分>を信頼し、権限を委ねることが、「平静」のカギとなるというのも、理にかなっている。

なお、本書では意識のことを<私>、無意識のことを<自分>と呼んでいる。

暗黙知の例として、動画像を扱う人が視聴者が気づかないような細部に何日も費やす例があげれている。視聴者は確かに気づかないが、無意識のうちに心のとめるため、視聴者の直観観的な評価に影響する。視聴者がなぜ良いと思うかは、その動画作成者にしか分からない。

非線形の分野からの考察も面白い。
多くの人工物が直線的な形をしているように意識は直線的である。これは情報量が少ないと言える。一方、自然界で直線のものはほとんどなく情報量が格段に多い。自然は非線形である。文明の進歩により人間の目に映る情報量は増えているのではなく、逆に減っているのである。休暇に自然豊かな場所に行くことで心が回復するのは、現代の人間が情報に飢えているためだという考えが述べられている。



幅広い分野に話がおよぶため難解な部分もあったが(私の知識不足である)、人間の意識について新しい視点が得られる本であった。

本書の内容は、普段の学びにも生かされる。何かを学ぶときには自分を目でみて、手を動かした方が良い。百聞は一見にしかずというやつだ。
本を読む・人の話を聞く、つまり言語によるインプットは意識によるものであり、せいぜい数十ビット/秒程度の情報量である。一方で、自分の手で動かすことで無意識に得られる情報量は桁違いに大きいはずである。

近年、製造業の分野では熟練の職人の引退により、職人のもつ暗黙知形式知かしようとする動きがある。データから機械学習など統計的なアプローチをする場合が多い。職人が五感から得ている情報がデータに含まれているか?という視点が重要ではないだろうか。