JPのブログ

読書記録や勉強したことをまとめていきます。

Small is beautiful.

小さい家は素人が作っても地震に強い、という話を聞いた。

大きい家を建てるより、小さい家を複数建てた方が良いという話あった。

 

小さく弱いものの方が大きく強いものより優れている、というのは老荘思想で言われていることであるし、プログラミング言語の世界でもクラスはなるべく小さく作るべきという話も聞いたことがある。

 

変化の速い今の時代には、再構築や修正が容易な小さいものが適しているのかもしれない。

棟梁 技を伝え、人を育てる

「棟梁 技を伝え、人を育てる」小川三夫 (聞き書き 塩野米松)文春文庫を読了した。

技を伝え、人を育てる 棟梁 (文春文庫)

技を伝え、人を育てる 棟梁 (文春文庫)

語り手の小川さんは、世襲が当たり前であった宮大工の世界に弟子入りして修行を積んだ後、鵤工舎を設立し、30年間後進の宮大工の育成に力を注いだ棟梁である。本書には技を伝承するために鵤工舎で重視してきたことが書かれている。共同生活や自分で道具を作ること、言葉では技術は伝わらないなど、世間的に古いだとか精神論だとか非効率だとかと言われそうなことであるが、本書を読めばこれらの重要性を納得できる。AIなどによる自動化が叫ばれている一方、モノづくり・製造業の現場での技術伝承が問題になっている現代に対し、示唆を与えてくれる。

技は言葉で伝わるものではなく、長い間 行動を共にすることで「手や体の記憶」として受け継いでいくものだという。技を伝えるためには現場がなくてはならないとのこと。
人から教えてもらうだけでは分かった気になってしまうだけだということだろう。自分の頭で考えて手を動かし、自分の中で消化されてこそ技が伝わったと言えるのではないか。確かに時間がかかるかもしれないが、技の伝承には必要不可欠なことだと気づかされた。

便利な道具を使っていては技は身につかない。機械を通した寸法通りの部材でないと大工が建物を作れなくなってきていることを小川さんは憂いている。曲がっていたり捻じれていたりする不揃いの材料を組み合わせて木の性質を生かすことで、丈夫な建物ができる。1300年持っている法隆寺はそのように作られているとのこと。設計士から出てくる図面には木のねじれなんかは記載されていない。現場の大工が考えて建物を作っていくなかで磨かれていた技術であろう。
私の働いているプラントエンジニアリング業界でも似た問題が起きている。プロセス計算をする際には市販のソフトウェアを使うことが大半である。物質・熱収支など熱・流動計算が分かりやすいユーザーインターフェースで計算ができる。化学工学に知見が多少かけていてもプラント設計に必要なアウトプットを出すことができる。これはプラント設計の効率化や低コスト化に大きく寄与していると思う。一方で、知見が足りないことによる思いがけないミスや、ソフトウェアの仕様からはずれたら何もできないエンジニアを生み出してしまっている現実がある。効率化や自動化の影で、人間の能力が低下してしまっている問題に目を背けてはいけない。

話はずれるが、機械に通らない曲がった木は山に置かれたままになっているとのこと。経済性の追求により、これまで使えたはずの資源が使えなくなっていることに強い違和感を覚える。
一方、寺社に使われる大きな木が国内になくなっているらしい。文化財を今後継続して保護していく中で大きな問題となっており、木はすぐに育つものではないし、個人でなんとかできる問題でもない。多くの日本人に知られるべき課題だと思う。

人を育てるためには、任せることが大事だと小川さんは説く。

その人が完成してから任せたらだめなんだよ。
未熟なうちに任せなくきゃだめなんだ。

任せられた側が責任をもってやってみる中で成長する。ただし、人をつぶすこともあるため任せる側にも責任がある。
組織が継続していくためには上の人間が下の人間に立場を譲ることが必要だと本書では説いている。上の人間がいつまでもいたら下のものが成長する機会を失ってしまう。
上に人が詰まっていたら組織は腐ってしまう、組織は生ものだと小川さんはいう。
大企業でよく分からない肩書のついた人が多くいるのは、組織が腐り始めている証拠なのかもしれない。


本書は、技術伝承や組織のあり方について深く考えさせられる本である。効率化や経済性の追求に捉われて議論ばかりがされている一方で、現場で黙々と試行錯誤を続けてきた小川さんの考え・言葉は本質をついていると感じる。

出産後のアクションリスト

今年、第一子が誕生する予定である。
出産後に必要なアクションについて、備忘録も兼ねてまとめたいと思う。

我が家のシチュエーション

夫(私):企業勤めのサラリーマン 勤め先の健康保険に加入
妻:出産を機に退職、私(夫)の加入している健康保険に加入、扶養に入っている

アクションリスト

子供が生まれたら以下のアクションを行う。

出生届の提出

子供が生まれてから14日以内に住んでいる自治体へ出生届を提出する。届け出の際に以下が必要になる。

もちろん、出生届を出すまでに子供の名前を決定しておく。

  • 会社への申請

子供を健康保険に加入するために会社へ申請を出す必要がある。加えて、家族が増えたことも会社に報告する。

乳幼児医療費助成の手続き

乳幼児が医療機関で診療・治療を受けたと時に、費用の一部または全額を自治体に援助してもらえる制度がある。会社の健康保険に子供が加入され健康保険証が発行された後、自治体で手続きを行う。

児童手当の申請

子供にかかる生活費などを支援する制度である。0歳から中学3年生まで 手当が支給される。第一子、第二子であれば3歳未満まで月額1万5000円、それ以降は月額1万円となる。毎月入金されるわけではなく、2月・6月・10月に4か月分まとめて入金される。「15日特例」を考慮して、生まれてから15日以内に申請を出す。

出生連絡票の郵送

自治体が、助産師などによる母子訪問指導(無料)をおこなっている。これを受けるため、出生連絡票(母子健康手帳別冊のハガキ)を自治体に郵送する。

医療費控除(確定申告)

妊娠・出産を通して医療費が普段より多くかかる。医療費控除をすることで払った税金の一部が戻ってくるが、会社の年末調整では申請できず、自分で確定申告をする必要がある。出産時のタクシー代など交通費も医療費として含まれる。また、所帯でまとめて申請できるため、例えば夫の医療費も控除の対象にできる。忘れずに領収書をとっておくようにしたい。

参考資料

出産にまつわる お金について分かりやすくまとめられている。


税金、保険、扶養、確定申告、年末調整について、以下の税理士YouTuberの説明が非常に参考になった。
www.youtube.com


まとめ

働き方のスタイル、加入している健康保険、住んでいる自治体等によって必要なアクションは変わる。高額医療費や未熟児養育医療制度、小児慢性特定疾患の医療費助成の申請が必要な場合も出てくる。上にあげた参考資料などを調べて、自分たちのアクションリストをまとめておいた方が良いだろう。

ユーザーイリュージョン 意識という幻想

ユーザーイリュージョン 意識という幻想、トール・ノーレットランダーシュ 著 柴田裕之 訳 を読了した。
人間の意識というものについて、物理学、熱力学、情報理論サイバネティクス、心理学、生理学、生物学、哲学、社会学歴史学、宗教そして倫理と幅広い視点から話が繰り広げられている。大変読み応えのある本であり、著者の見識の広さに度肝を抜かされる。



意識というものを情報量として捉える考え方が興味深い。
人間が五感から得られる情報量は1100万ビット/秒に対して、意識に上る情報量は50ビット/秒にしか満たない。
人間の言動は、意識で考えたことより、無意識に得られる情報により大きく影響される。日々の生活の中でも、意識をしたせいで物事が上手くいかなくなることは身に覚えがある。スポーツ選手や職人は、日々の練習・鍛錬により、無意識に適切な動作ができるようにしているとも言える。

「訳者あとがき」にある以下の文が上記をよくまとめている。

そこで、人間は意識がイリュージョンであることを自覚しなければならない。意識ある<私>と無意識の<自分>の共存が必要だ。<私>が自らの限界と<自分>存在を認め、<自分>を信頼し、権限を委ねることが、「平静」のカギとなるというのも、理にかなっている。

なお、本書では意識のことを<私>、無意識のことを<自分>と呼んでいる。

暗黙知の例として、動画像を扱う人が視聴者が気づかないような細部に何日も費やす例があげれている。視聴者は確かに気づかないが、無意識のうちに心のとめるため、視聴者の直観観的な評価に影響する。視聴者がなぜ良いと思うかは、その動画作成者にしか分からない。

非線形の分野からの考察も面白い。
多くの人工物が直線的な形をしているように意識は直線的である。これは情報量が少ないと言える。一方、自然界で直線のものはほとんどなく情報量が格段に多い。自然は非線形である。文明の進歩により人間の目に映る情報量は増えているのではなく、逆に減っているのである。休暇に自然豊かな場所に行くことで心が回復するのは、現代の人間が情報に飢えているためだという考えが述べられている。



幅広い分野に話がおよぶため難解な部分もあったが(私の知識不足である)、人間の意識について新しい視点が得られる本であった。

本書の内容は、普段の学びにも生かされる。何かを学ぶときには自分を目でみて、手を動かした方が良い。百聞は一見にしかずというやつだ。
本を読む・人の話を聞く、つまり言語によるインプットは意識によるものであり、せいぜい数十ビット/秒程度の情報量である。一方で、自分の手で動かすことで無意識に得られる情報量は桁違いに大きいはずである。

近年、製造業の分野では熟練の職人の引退により、職人のもつ暗黙知形式知かしようとする動きがある。データから機械学習など統計的なアプローチをする場合が多い。職人が五感から得ている情報がデータに含まれているか?という視点が重要ではないだろうか。

学歴社会

唐突であるが、学歴社会について考えたことを残したい。

まず身分制度があった時代まで遡る。19世紀以前には、貴族社会や士農工商などの身分社会があった。この社会では、自分が生まれた家柄で職業も含め人生の大部分が決められてしまうものであった。その後、日本では明治維新により身分制度が廃止され、(差別などはあったにしろ)職業の自由が認められた。教養さえ身に着ければ、偉くなってお金が入り、生活が豊かになる認識が人々の間に広まった。

福沢諭吉学問のすすめの中で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は有名はフレーズだが、本来の意図は
 ”本来は平等のはずだけど、差がついているのは学問しているかしていないの差だからな。”
といったものである。これが現在も日本人に根付いている学歴社会の始まりだと思う。頑張って勉強して、良い大学に入り、良い企業に入れば一生安泰といった考えある。(平成生まれなので実感として分からないが、)昭和の高度経済成長期がこの傾向に拍車をかけたのではないか。

ただ、現在において、一生安泰な良い企業なんてものは存在するのだろうか?「僕は君たちに武器を配りたい」では、サラリーマンは他人にリスクを丸投げするハイリスクな生き方だと主張している。
reliableeng.hatenablog.com

大企業であっても、いつ倒産やリストラがあるか分からない。サラリーマンはリスキーである。となれば、リスクは分散しなければならない。リスクを分散する方法として思いつくのは、

  • 他社から求められるほど、希少価値の高い人材になること。
  • 副業(複業)をして、収入源を多様にしておくこと。

の2つくらいだろうか。

学歴社会を否定する主張の中には、大学の必要性を疑うものがある。個人的には大学に入って勉強することは有意義なことであると信じている。大学で本気で勉強できた人は独学する術を見につけ、どこでも活躍できるであろう。ポイントは、大学入学後/卒業後も勉強を続けることだと思う。

これからは個人の時代だとも言われている。身分制度廃止により家柄に関係なく職業が選べたようになったように、学歴に関係なく高収入を得る人が増えている傾向が出てきている。法律もこれから個人の時代に向けて、変化していくのだろうか。

PID制御

プロセス制御の多くの現場で、PID制御が用いられている。2009年に日本学術振興会プロセスシステム工学第 143 委員会のワークショップで実施されたアンケート調査では、石油化学プラントにおけるPID制御、古典的高度制御、モデル予測制御のコントローラ数の比率はほぼ100:10:1であるという結果が出ている*1。こちらのアンケート結果は以下のサイトで閲覧可能である。
ws27.pse143.org

*1:新版プロセス制御工学、朝倉書店、橋本伊織/長谷部伸治/加納学 著

「プラント」とは

プラントとは何か? 地元の友達や専門外の人に自分の仕事について説明する時に、いつも悩むことである。「プラントを作る仕事です。」と言っても、「プラントって何?植物?」という反応になる。だからプラントという言葉を使わず、工場と言って済ませてしまうことが多い。個人的なイメージは、プラントは配管や機器が建屋の中に入っていないもの、工場は建屋の中に入っているもの、といったものである。正確な定義があるのかどうかは知らない。

ちなみにWeblio (https://www.weblio.jp/) では「プラント」とは以下のように説明される。

工場や工場の設備としてのプラントの意味
プラントは工場という意味も持っている。工場のことをファクトリーと呼ぶことがあるが、プラントとファクトリーは解釈が異なる。プラントは工業活動に必要な素材や資源を作り出す生産設備を指す。例えば、石油プラントや化学プラントなど、製造されるものが素材や資源に限定される。ゴミ処理の一般廃棄物処理プラントや水処理の水処理プラントなどもプラントの1つである。一方、ファクトリーは生産ラインを持っている工場のことを指す。

ちなみに、プラントの設計から建設、保守に至るまでの作業に従事する人をプラントエンジニアという。また、プラントの設計をする会社をプラントメーカーという。

プラントと一口に言っても、石油・石油化学・食品・鉄鋼など様々なプラントがある。プラントは連続プロセスとバッチプロセスに分けることができる。「連続プロセス」とは、その名の通り、連続で製造するプロセスである。配管や機器の中を気体や液体が絶えず流れているイメージをしてほしい。「連続プロセス」の対照として挙げられるのは「バッチプロセス」であり、決められた手順で加熱・冷却・薬剤注入などの処理が段階的に行われる。製品はある一定周期でまとまって完成する。なお、ここでプロセスとは製造設備を指す。