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誰が科学を殺すのか

誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃、毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 著、毎日新聞出版を読了した。

誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃

誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃

ものづくりで台頭し世界第二位の経済大国となった日本であるが、科学技術分野において米国、中国に大きく引き離されて衰退しており、大学をはじめとする研究現場が疲弊しているという内容である。

修士課程学生の時に研究費について悩むことはなかったが、大学教員がお金をとってくることに苦労しており研究する時間が中々とれないという話は聞いていたし、実際に教授・准教授・助教授を見ていてそう思った。(私が所属していた研究室の先生方は自分で獲得した研究費で学生を数か月海外に滞在させてくれた。とても良い経験であり、大変感謝している。)
本書を読むと大学の研究費について分かりやすく書いてある。国立大学では国から支給される運営費交付金に加えて、教員が応募する科研費などの外部資金がある。しかし、2004年の国立大学法人化に伴い運営費交付金が毎年減っており、教員一人あたりは年に数十万円程度しか受け取れていない。そこから研究費の光熱費や印刷代なども支出されるとのことで、学生を現地調査に向かわせることが中々できないのも納得である。
特に地方国立大学では研究費が少なく、地域の産業に科学技術の知見を役立てようにもカネがネックになっているとのことであった。

科学技術の予算を決める財務省としては、合計の支出額が増えていることと、国民の税金で研究をしているからには結果を出すべきだという理由から大学側の改善を求めている。国民の税金にも限りがあり科学研究費を増やすには国民に説明できる結果が必要という言い分も分かるが、研究にはやってみないと分からないという側面が大いにあると思う。現在はお金がなく”やってみる”ことすらできない状況なのではないか。
研究者たちは技術をベースにしたベンチャーを立ち上げるなどしており、自ら研究費を稼ごうと奮闘している。

日本の科学技術政策がトップダウンの仕組みになっており、科学技術による経済発展を目的とした巨大プロジェクトに大きな予算がついている。SIP、ImPACT、ムーンショットといった研究開発事業がある。このような応用研究にお金が集まり、基礎研究にお金がつかないという現状が問題視されており、基礎研究にお金をかけるべきということを多くのノーベル賞受賞者が訴えている。

イノベーションは、何に役に立つか分からないが研究者が好奇心を追求していった結果として偶然生まれたという歴史がある。「選択と集中」は予め求められている結果を短期間で求めている点でイノベーションの歴史と逆行している、という指摘がある。私もこの指摘に賛成である。人類が科学技術を駆使していく中で、お金をかけて研究すれば人類が自然を支配できると過信してしまっているのではないか。

ポスドクなど任期付きの研究者が経済的に不安定であるという問題にも述べられている。私は修士課程で企業に就職したが、博士課程への進学も選択肢のひとつにあった。博士課程への進学をしなかった理由のひとつとして、すでに奨学金で生活していたこともあり、研究者というキャリアの経済的不安定さに不安があったことも正直ある。

「誰が科学を殺すのか」という問題は、研究をする側(大学・研究所)と管理や予算を決める側(国・経営)の人々の経験・価値観が異なることが根底にあるのではないかと思う。議論をかさねているようで全く噛み合っていないのではないか。(規模は違えど、企業の中の他部署間でも似たような問題はある笑)本書を読んでいると日本の将来に不安ばかりが募ってくるが、研究者の自らお金を稼ぎにいくという動きを応援したいし、自分も技術者として出来ることを考えたい。